今日は、超久しぶりにぼやきブログです。たまにぼやかないと、自分の使命見失うのでお許しください(^^;)
想い出の場所。
私の想い出の場所は、いくつかありますが、一つは幼いころ、日曜日の朝マックと
神奈川県小田原市内にあった屋上の遊園地と小田原城址公園のコーヒーカップ。
特別何か巨大なストーリーはないのですが、よく連れて行ってもらえたこと、
連れて行ってもらえたあの時間が楽しくて、なんだか幸せだったな~と今になって、こうして想い出の場所になっています。
あとは、夏休みに過ごした母の実家、岡山県の山奥にあったおばあちゃんの家。
夏と言えば、山々に囲まれた避暑地で川遊びをして、花火して、自由研究して、昼寝して。
今、この場所で宿と撮影業を通して無性にこの「想い出の場所」という単語に対して大切な意味を持っていることに気づきました。
清里高原にも、今に至るまで沢山の歴史が存在しています。
私は当時のバブル真っ最中の清里高原の姿は写真でしか知ることが出来ませんが、私の父母、そして宿泊や撮影に訪れるお客様から、当時の清里のお話をたくさん耳にすることが増えてきました。
(多分、そういうお客様が増えてきたのかも)
清里高原は憧れの場所だったこと、デートの王道コースだったこと、高原の原宿と呼ばれていたこと、テニスを仲間と楽しんだこと、初めてペンションに宿泊をした出来事、などなど。
共通して感じたことは、皆、この清里高原に再び訪れる際に「懐かしさ」という想い出に再会しに来てくれているということ。
あの頃の、自分に想い出の場所で少しだけまた会えるような。
とても嬉しそうに当時のお話を聞かせてくれるお客様。
そんな想い出の1ページをたくさん生み出した清里、という場所。
すごいこと、だと思う。
誰かの想い出になる、時間と場所を作り続けているということは、ほんの少しかもしれませんが、訪れるお客様の人生に少しだけ参加させてもらえているという、責任と遣り甲斐があるというものです。
最近、初めまして、の出会いから、「良かったら少しお話しませんか?」と逆にお誘いを頂き、結果、深夜二時ころまでお酒を飲みながら語り明かしたご夫婦様との出会いが私たちにありました。
(翌朝、お互いに「はしゃぎすぎてごめんなさい」と謝罪しあうというシュールな展開に(笑))
ご夫婦様も、昔、清里高原に訪れて、好きになって、ご主人の還暦のお祝いも兼ねて再び数十年ぶりに想い出の清里に遊びに来てくださったとのことでした。
還暦祝いのソロ写真★いいお顔です(^^)
そんなお二人とのお話の後に、私の中で新しい使命感が生まれてしまいました(いい事、仕事しなさい、私w)多分、ずっと、想ってはいたこと。
今でもこうして、当時の想い出に会いに来てくださるお客様に、寂しい想いをさせたくない、ということ。
想い出の場所が取り壊されて、更地になって、新しいお店や施設に生まれ変わる、のも少しだけ寂しいけど、そうか、この場所でまた新しいドラマが生まれているのだと、思うことが出来るように感じます。(それでも少し寂しいけど)
ですが、大好きな想い出の場所が純粋にそして、単純に力を失くしてしまっているように見せてしまい(見せていないと当事者は思ってても)孤独感と何もできないやるせなさを感じさせてしまうのは、すごーく生意気なひよっこながらに、それは違うなと思ってしまうのです。
あの頃とは変わらないね、って。
あの頃と全く同じお店やサービスをそのまま復活させることではなく、訪れた清里という場所があの頃の自分と再会をしたくて訪れたお客様の背中をまたやさしく推すことが出来るような場所でありたいと思います。
何度も、言いますが、私たちはまだまだ、ひよっこ(いや、卵かも?卵ならヒビは入ったかな)ではありますが、時間がかかったとしても、今日もまた、誰かにとってのかけがえのない想い出を生み出せる場所を作り続けていきたいとぼんやりそんなことを考えながら。
今年も、暑い夏がやってきますね。
新しい出会いと、発見と、想い出がアップデートされる場所を作りたい。
そう改めて強く感じました。
あなたの想い出の場所はどんな場所ですか?良かったら聞かせてくださいね♪