これからの正義の話をしよう、という有名な1冊ありましたよね。
そんな感じのタイトルですが。少し感じたことを記事にします。
忘れたくない風景が私にはあります。
忘れられないとは少し違う。
忘れたくない風景には、忘れたくない人との沢山の物語が存在しているように感じます。
そんな忘れたくない風景の中の一つが、母の実家がある岡山県の山々の風景です。そんな風景が広がる母の実家につい最近母と2人で久々に訪れました。
幼い頃、父と弟と歩いた公園への散歩道。
公園はまだ残っていました。
よく遊んだユラユラブランコは撤去され、遊具は錆だらけでした。
亡くなったおじいちゃんがよく庭で本物の竹を使って流しそうめんを流してくれたり。
メダカを捕まえた川や。
デカイ蛙が出て怯えた岩場や。
この場所に来ると、母が母の顔ではなくなり、娘の顔になっている事に気付いたり。
そんな思い出すだけで、なんだか満たされた気分になる風景。
いつもは、全くカメラを持ち歩かない私ですが、今回はカメラを持参して風景を撮影しまくりました。
人は忘れる事が出来るから生きていけると誰かに聞きました。
忘れる事が出来るからまた、歩き出せると誰かに聞きました。
確かにと思います。
だから、やっぱり、人は忘れたくないから残しておきたいってスマホのカメラのシャッターやカメラのシャッターを切るんだろうなぁと思います。
フィルム時代とデータ時代。
以前に比べたら、写真を撮影するという行為はより身近になっていますよね。
私はフィルム時代が良かったとか、
データ時代がなんちゃら、とか言うつもりはさらさらありません。
だって、それぞれの良さがあるから。
だけど、これは思いました。
スマホに保存されている1000枚近くの写真データ。
多くは記録写真なんだろうなぁと。
撮影しただけで、満足して終わる写真。
Facebookやインスタにアップして、数名のいいね!ボタンが付いた瞬間に役割を終える写真。
一概には言えませんが、仮にそれらの写真が急にデータが故障して見れなくなっちゃったら、どうだろう?と考えた時、私は、まぁまた撮影すればいっか!で終わる写真が多数かもなぁって感じたりもするんです。
いつでも、何処でも見れるから。
もち歩きが重たくないからいいデータ。
だけど、私が撮影したい写真はそうじゃない。
データが無くなったら涙が出ちゃうくらい悔しい唯一無二の存在のような1枚。
きちんとアルバムにしたり、フレームにしたりフレームに入れたりして飾りたくなるような写真。
実家に帰った時に目にする分厚いアルバムみたいなアルバムが作りたい。
手紙のような1枚、アルバムが作りたい。
そう強く思います。
そのアルバムには、忘れたくない風景や忘れたくない人々との物語や、共に過ごした記憶のカケラを詰め込みたいと思った旅だったのでした。
BGM 「時には昔の話を」
https://www.youtube.com/watch?v=2R9j-fVDDro
これ聞きながら撮影してたら泣けた。
本当に歳を重ねるごとに涙腺崩壊だわ。
★ 9月&10月 ご予約受付中 ★
ご予約・ご相談は・・・
photoletteritsumo@gmail.com まで
—–